茶カフキ之記 無着軒ニ於(1981)

CHA NO YU


試筆は兼中斎、箱書きもしているということは、おそらく皆中者の方*に、表装してお渡ししたのでしょう(通常は紙を筒状にして、ただ天の端をペコッとするだけ?)。
- 笑子* 全
- やゑ
- かツ子
- 㐂代子
- 弘子 一
全てが女性。なんとすごい、豪華な茶会だったのでしょう(亭主は不明)。如心斎が制定した茶カブキ(闘茶のひとつ)は利休忌2月28日に行われるのが慣例なので、その頃出す茶掛けですが、ぼくは客との話の向きで、これを掲げようと思っています。茶カブキの本来の深い意味(ある種の戒)を今一度考えることなど、再認識したいものです。
皆中者がいない時は、このように外に出ない記録なので、とても目出度い貴重な軸だと思います。どうして手放してしまったのだろうか、謎。やはり即中斎書付のがあったら見てみたいけど。客個人の思い入れがあるから、きっと巷には出ないと思います。

ところで、最初の記録は『利休忌茶カフキ之控』、その頃は記録を渡さなかったようで:
不審菴ニ於(1744)亭主は多田宗菊、試筆は中村宗哲
- 如心斎
- 堀内仙鶴(初代)
- 淡斎(小西彦右衛門) 全
- 宗雪(川上不白) 一
- 長入(七代樂吉左衛門)
全てが男性。この面面、想像するだけで興奮する。やはり5人。ぼくのと書付の感じがとても似ている。

2019.06.06
hitoshi koizumi



二畳敷隅炉

CHA NO YU

天正15(1587)年2月25日朝、山里の茶室に神谷宗湛が招かれたのが記録では初出。うちの原型。

2019.05.20
hitoshi koizumi



Tom Sachs: TEA CEREMONY

CHA NO YU

https://www.operacity.jp/ag/exh220/index_e.php
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19691

今、日曜美術館で放映されてた。興味深い人だけど、全てゴミだな。
感想:正座していたので、安倍信三よりは理解度が上のよう。

2019.05.19
hitoshi koizumi



父子ふたり筆の茶掛

CHA NO YU

不仙斎添書 兼中斎若書、「長生庵 吉彦書之 平常心是道」
後にご自身で箱書されて、これを世に出していることのすごさ、加えて表装の状態も傷みですごいのだけど、そこが何かを言わんとしていて自然でよい。ぼくに合っている侘。
実は、長年、墨蹟花押ふたり(高僧と宗匠)の茶掛が気になっていたのだけど、そういうものは印刷物でしか見たことなく、実際にはなかなかお目にかかれない。一方、風炉先屏風など絵の余白に書き添えた画賛はよく見かけるけど、うちの茶室には相応しくない(書家の表具や画家の作品は絶対にありえない)。

「びょうじょうしんこれどう」
意味は「ふだんの心が悟りである」ということ。
無門関第十九則「平常是道」本則:
南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。
唐の南泉禅師とその弟子趙州禅師の問答で、南泉禅師が「平常心」といい、趙州がこれを「道」と会得し、「日常の用心」と悟った。この公案を瑩山禅師の師である義介禅師が説き示されると、瑩山禅師は「日常あるがままの心が仏道そのものである」と、たちまち心が開け、「我れ会せり」と思わず叫ばれたそうです。

若くして、この言葉を選ばれたとは、なんと素晴らしい方なのか。茶を点てるたび心せねば。いつの歳頃の書なのだろうか?(おそらく旧制中学1930年代前半) それにしても勢いがすごい書です。積極的にふだんからこれを掛けよう。理想的な茶掛!

2019.05.18
hitoshi koizumi



金林寺

CHA NO YU

ツボツボがない即中緞子の袋を着せたのは、誰なのだろう?
この人のおいしい濃茶を想像してしまう。
未だに茶入(焼物)は気に入ったものに出会えない。それにしても溜にはうっとり。

2019.05.16
hitoshi koizumi



山是山水是水 即中斎筆

CHA NO YU

誠に残念。やはり描かれていたんだ。
いい文字だ。やはり、各々同じでないのか、、、見つけたのに、早い者勝ちの買い物で、先週、負けた。ほんとうに昔から弱い、こういう勝負に勝ったためしがない。しかし驚いた。世の中には欲しい人がいるんだ、、、
ぼくは、今とてもこの正法眼蔵の言葉に合っている身の立場にいるので、とてもほしい。茶の湯に関係する物品は、ひとつしかない(デザインとは違う世界)。「出会いだ!」と道具屋さんは言う。
さて、この見つけた茶掛けの難は、共箱でないこと。即中斎の箱書きは、軸の書より美しいと言ってよい。その箱がない。それから表装がイマイチ。写真で見ているので確かではないが、なんとなくあまい(何か理由があるのか)。ここなのかもしれない。一本あるということは、きっとまだよいのが世の中にあるのかもしれない。今回はその提示なのかもしれない。きっとよい出会いがあるに違いない。
花とこのようなものたち囲まれて、客に茶を点てるしあわせ。しかし、ここのところ客が多かったし、仕事以外のことで、ちょっと疲れた。

2019.04.08
hitoshi koizumi



銘 春駒

CHA NO YU

「令和」の記念に(四月の魚?)。
竹尺八花入
黒田宗傳作 兼中斎在判 箱書(1983)

2019.04.01
hitoshi koizumi



大西浄中極(1955)

CHA NO YU

また、とてもよいものをみつけた。理想的なかたち、感動。
京名越6代浄味(–1759)造 唐銅鶴首花入 共箱
とうとう江戸時代の道具、、、とても味がある。
直線と曲線がすごい!みごとな物質感、大きさ。金属面が最高。

2019.03.16
hitoshi koizumi



泥華井戸

CHA NO YU

茶盌の格?
一井戸ニ樂三萩
一樂二萩三唐津

2019.03.04
hitoshi koizumi



照喜名弘彦「こころとからだ」

CHA NO YU

https://okiteru.ti-da.net/e10946716.html
...手当てではわからなかったのに、お茶だとわかるんですね。

1つの急須に入ったお茶。

「みえるもの」の条件は同じです。
じゃあ、なぜ味や口当たりが変わるのか。
それは、「注ぐ時の意識」という「みえないもの」が違うからです。...


茶の湯はまさしくこれです。
お薄、濃茶では、より正確に現れると思います。
一服、点てること、深すぎます。

2019.02.19
hitoshi koizumi



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